news新着情報2025年1月~12月 「できごと」に掲載
○12月22日
呉市海事歴史科学館
戸高一成館長には、来年3月埼玉大学で開催される精密工学会春季大会で
基調講演をお願いしています。挨拶と打ち合わせを兼ねて呉に館長を訪ねました。館長は気さくな方で、いろいろなお話をさせて頂きました。なかでも彫刻科をご卒業されたこともあって、鑿を研ぐ天然砥石にお詳しく、小生も天然砥石の研究をしたため、天然砥石の話で盛り上がり、先人の知恵に基づく技能伝承などにも話が及びました。ご講演の打ち合わせに行ったのに、なかなか打ち合わせに話が及ばず笑ってしまいました。
呉市には、かつて戦艦「大和」を建造した軍港がありました。日本一の海軍工廠が置かれ、海軍の重要拠点となりました。戦後は世界最大級のタンカーがいくつも建造され造船の街として栄えました。この地に造船技術が芽吹いたのは、奈良時代(8世紀)だそうです。朝廷から遣唐使船建造を命じられたことが発端だそうです。造船技術を活かして、瀬戸内海では水軍が誕生し、戦国時代にかけて大いに活躍したそうです。明治になると西洋の植民地になるまいとして、日本は富国強兵に力を入れます。四方を海に囲まれた日本は、とくに海軍を充実する必要があったのです。明治19年には、呉港に第二海軍区鎮守府が設定され、呉は軍艦、広は水上機エンジンを製造する海軍工廠が置かれました。呉港は瀬戸内海の島々が自然の要塞となり、後ろには山があるため、敵が攻め難い場所だったのです。
科学館は、2005年に明治以降の「呉の歴史」と造船・製鋼を始めとした各種「科学技術」を紹介する博物館として開館しました。開館から11ヶ月で来場者は160万人になったそうです。地方の博物館は年間10万人来場者があれば大成功なのですが、その後もこの科学館は、年間90万人が訪れる人気の科学館となりました。名物は、1/10の戦艦大和の模型です。この模型は、歴史を忠実に反映した科学技術模型で、いまも新事実が発見されるたびに改造できる部分は改造され続けています。2026年3月末のリニューアルオープンでは、大胆な改造も期待されています。例えば、艦首の菊のご紋は、直径1.5mと言われていましたが、沈没した大和の海中写真から1mであったことが判明したそうです。そうなると、これまでの艦首構造部のサイズが違ってくるため作り直すことになります。また、こだわりの改造としては、使用されていたロープがあります。これが右にねじられたものか、左にねじられたものかが判明し、これを忠実に再現しています。来場者には視認できない細部の修正です。最初の建造時にも、こだわりの部分が随所にありました。例えば甲板の板幅が15cmですが、模型では15mmになります。そうなると実際の木材では、木目の模様が見えなくなったり、違ってしまいます。木目が1/10に再現できるように、別の木材を探したそうです。しかも、甲板は水はけを良くするために微妙に反っています。15mmの板を敷き詰めるのは至難の業です。これを職人が一枚一枚丹念に施工してくれたそうです。これも来場者には気づいてもらえない細部の再現だと思われます。
館長は、ご自身の著書のなかで「来場した子供達が、戦艦大和はかっこいい!と思って興味をもってくれたらそれで良いのです。」と書かれています。その意図は、そこから技術や戦争に興味をもち、やがて平和について考えるようになり「戦艦大和はかっこいい」だけではないところに、将来、子供達が到達してくれることを願っているそうです。戦争を知らずに平和を考えることはできず、正しい知識が与えられなければ、正しく考えられないのです。そのはじめの一歩が、”興味を持つ”ということだとおっしゃっています。この科学館は、技術をとおして戦争を知り、平和を考えるための優れたコンセプトに基づく施設なのです。
小生の手元には、小林 昭先生から生前預かった講義ノートがあります。これは東京帝国大学工学部造兵学科で大越先生から学ばれたときに自作した「精密加工法Ⅰ・Ⅱ」のノートです。ノートと言っても自分用に編集された教科書です。昔の帝大生は、講義資料とともにノートを製本して残したようです。このほかにも應用力学ノートが残されていました。日本を背負っていく帝国大学生の情熱と強い使命感を感じるノートになっています。これらは後世に伝えるべき学術遺産だと思います。このたび大和ミュージアムに寄贈させて頂きました。

呉市海事歴史科学館
戸高一成館長 |

戦艦「陸奥」
海底から引き上げられ遺品 |

てつのくじら館
潜水艦あきしお |

かつての軍港には
今も自衛隊の船が停泊 |

戦艦大和が建造された呉 |
○12月21日 広島平和記念公園&資料館
資料館では、原子爆弾の悲惨さを訴えるための工夫が随所に見られました。また原爆投下に至る背景や科学知識、平和への取り組みなどニュートラルに展示されていたのが印象的でした。世界に平和を訴える資料館として立派だと思いました。ただ、戦争を知らない世代がほとんどを占める日本社会においては、もうひとつ大事な側面からの展示が必要になってくるはずです。平和記念碑がいつか判じ物にならないことを願っています。

平和記念公園
資料館からの眺め |

広島平和記念碑 |

塔8:15に鳴る平和の時計
原爆を連想させる形状に
ショックを覚えた。 |

原爆ドーム |
○12月9日 生産原論専門委員会(第4回研究会)
日本工業大学で現代の名工である三代目赤坂兵之助氏の講演を拝聴しました。
『「レイテンイチ」、が遺言や!』 ~職人一家の技術継承~という興味深い題目で一時間講演されました。技術的な話に混じって精神論にも話が及びました。手業は前人未踏の世界を開拓するもの。名工ほど神の領域に近づいた感覚になるのだと思いました。先日、研究室では学生が顔を輝かせて実験室から走ってきました。何でもこれまでどうしてもできなかったことが、できたのだという。普段、神様の話をすると煙たがられるのですが、特定の宗教を信仰していない私でも、”実験室には真理の女神様がいる”と信じています。その学生はきっと女神様に微笑まれたのでしょう。その経験は一生ものです。職人の世界も一緒なのですね。神様を感じるほどの感動は、経験した人でなければわからないものです。
講演会のあとは工業技術博物館を見学しました。清水館長、上原先生には丁寧で興味深い解説をして頂きました。

日工大博物館にて |
○12月5日 公益社団法人砥粒加工学会法人化30年記念式典(帝国ホテル東京)
社団法人となり30年が経過しました。前身は1957年に発足した砥粒加工研究会です。この学会は、サロンのよいところを継承しており、参加していて楽しい学会です。たくさんの素晴らしい人と出会い、深く専門を勉強させて頂きました。研究者として成長させたもらった砥粒加工学会に感謝です。これからも充実した学会として、サロン的な温かな雰囲気を大事にして発展してもらいたいと思います。式典では、山田准教授と研究指導賞を頂戴しました。
○11月22日 工学部オープンラボ
例年、来場者は工学部を知りたい高校生、学生のご父兄、むつめ祭を楽しんでいる近隣の皆さんです。オープンラボですので、普段の研究成果を少しだけ研究パネルで実験室入口に掲示して、あとは実験室で皆さんに楽しんでもらう企画を考えました。レーザ刻印でオリジナルなハンコをつくってもらいました。学生諸君が材料の切り出し、ゴム印素材、レーザ加工条件の選定を積極的にやってくれました。公開当日は80名を超える来場者があり、学生諸君も大忙しでした。できあがったハンコを試し押ししたときの皆さんの歓声に癒やされました。
○10月30日 生産原論専門委員会(第3回研究会)
小林昭先生の始められた専門委員会も、今年で32年となります。令和7年度第3回研究会は、IoT、AIなど最先端デジタル技術を駆使したモノづくりのあり方と人の働き方について講演をお願いしました。講師を務めて下さったのは小林先生のお孫さんでした。講演会後の交流会は懐かしいお話も飛び出して楽しい一時でした。
○9月17日 精密工学会秋季大会(京都)
生産原論セッションが初日にあり研磨炭の研究、最終日はレーザスライシングを学生諸君は頑張って発表してくれました。良い出来だったと思います。ご苦労様でした。学術講演会も充実していましたが、ノミニケーションもよい思い出となりました。