エッセイESSAY 2026~
文明の利器

最近、学生は流ちょうな文章で、よくできたレポートを提出してきます。そこで今年の期末試験には、サービス問題を用意しました。レポート課題そのままを出題してあげたのです。ところが、解答できた学生は半分程度しかいませんでした。インターネットが発達し、AIが著しい進化を遂げた現代社会では、私たちの知らないことでも、すぐさま知ることができます。レポート課題もAIを使えば、それなりにすぐできてしまうので、半数の若者はAIを利用していたことが判明したのでした。このように文明の利器には、多かれ少なかれ功罪というものがあるようです。
古い人間にとっては、文明の利器の功罪云々を議論する以前に、乗り越えなければならないことがありそうです。そう感じているのは、私だけかも知れませんが、個人的な経験から、そもそも文明の利器を使いこなすのに難題が立ちはだかっているように思えるのです。例えば、ゆうちょ銀行のATM。全国で統一された自動機なのか定かではありませんが、近所の小さな郵便局から他行の口座にお金を送ろうとした時のこと。ATMの画面には「送金」と「振込」が表示されていました。同じ事ではないか?と一瞬迷いましたが、”この口座に送金してください”との依頼で郵便局に来たのです。「送金」だろうと勝手に判断して、先に進もうとしました。しかし、すぐにATMに拒否されてしまいました。郵便局の方に尋ねると、「他行の場合は「振込」、ゆうちょ銀行の口座なら「送金」です」とのことでした。初めて郵便局のATMを使う人にとって、これは直感で理解できるものではありませんでした。
またあるときは、ゆうちょ銀行のATMから同行の別口座に「送金」しようとしました。間違えずに「送金」を選択すると次の画面で「記号番号」、「店名」が表示されました。送金先の口座名義、口座番号、店名(3桁数字)を控えてあったので、とりあえず「記号番号」を選択して「口座番号」を打ち込んでみました。しかしATMに拒否されてしまいました。「記号番号」と「口座番号」は別物でした。「記号番号」について郵便局の方に尋ねてみると「それはお客様にはわかりません」とのこと。”だったらどうして表示するの?”と思いましたが、気を取り直して今度は「店名」を選択してみました。これなら三桁の数字を打ち込むだけなので簡単です。ところが、ATMの画面には数字ではなく、歯抜けになったカタカナの文字盤が表示されたのです。「は?」となりましたが、この郵便局の名称「~郵便局」を入力するのかと思い、最初の文字を探しましたが見当たりません。再三で恐縮なのですが郵便局の方に尋ねると、三桁の数字(0**)を「ゼロ、~、~」と読み上げています。そして「最初の数字が「ゼロ」なので、画面の「セ」を選択してください」とのこと。さすがに、このときは膝から崩れ落ちそうになりました。
送金もいよいよ大詰めです。金額は順調に打ち込めました。画面には「円」の表記しかありません。このとき、ふと余計なことが頭を過りました。”もしかして「円」を選択すると言うことは、「ドル」も送金できるのだろうか?”郵便局の方に尋ねてみると、「円しか扱えません」とのこと。”だったら「確認」で良くないですか?”(これは心の中の独り言です)
ATM一つで、少々文句が多すぎました。郵便局のATMを初めて使うのなら、あらかじめ調べて行けば良いのです。いきなりATMを使いこなせると高を括っていたのが悪いのです。ただ、上記のような暗黙のルールたちを突破しない限り、古い人間は文明の利器の恩恵には肖れないのです。
塵も積もれば世界の宝

他人から見れば、どうでもよいことをなぜか律儀にしてしまう。そんな経験はありませんか。私は昔から不思議とクリップが捨てられません。引出をあけるとサイズごとにビニール袋に小分けされています。クリップは自分が買った物ではなく、どこからともなくやってきて、手元で役目を終えます。役目を終えてもゴミではないので、つい溜めてしまいます。そんなに使うこともなかろうに、と自分でもあきれてしまいます。
数年前に亡くなった父の書斎を整理していた時のこと。引出を開けると、律儀に整理された大量のクリップが出てきました。自分のクリップ収集の癖は、父からの遺伝であったようです。二代に亘って、こんなことを繰り返すことに何の意味があるのでしょう。苦笑しつつも、最近気になっていることの一つです。
先日、福井県の三方五湖(有名な景勝地)の一つ、水月湖に関する興味深い話を耳にしました。何でもその湖底からは1年ごとに順序よく降り積もった地層が7万年分も採取されたそうです。これを「年縞(ねんこう)」というのだそうです。父と私の2代どころではなく、7万年もの間、自然はただただ湖底に地層を順序よく積層させていたのです。そこで早速、この「年縞博物館」に行ってみることにしました。
通常、湖底の堆積物は河川の流入や生物活動でかき乱されてしまって年縞はできません。ところが、水月湖は河川の流入がなく、水深34mの湖底には酸素が少ないため生物もいません。さらに断層のせいで地震毎に湖底が沈下し、地層が堆積しても水深は一向に浅くならないので年縞ができるのだそうです。
年縞は黒と白の層がペアになって1年分(0.7mm厚み)です。黒い層は春夏でプランクトンの死骸、白い層は秋冬で黄砂などです。また花粉の微化石や磁鉄鉱が含まれているので、地殻変動、気候変動、生態系変化などがわかるそうです。磁鉄鉱は湖底に着くまでに地磁気によって方位が揃って積もるので、その時代の地磁気がわかるそうです。ちなみに地磁気は数千年ごとに変化しており、赤道でもオーロラが見られた年代があったようです。噴火や地震も、いつ、どこで、どんな規模で生じたかが正確にわかるそうです。
地質学分野では年代を特定するのに「放射性炭素測定法」が用いられます。年縞はその測定法の精度補正に使えるのだそうです。水月湖で繰り返される、一見些細な癖のようにも思える地球の営みは、いまや地球の精密年代測定には欠かせない世界標準を形成し、「塵も積もれば世界の宝」になることを教えてくれます。
些細な癖で親子二代に亘って行われている「クリップ収集」ですが、何万年経っても意義は見い出せそうにありません。父には苦笑されるかも知れませんが、いつか天国で父にあったらじっくり語り合ってみたいと思います。
道ばたに咲いた花

5月の日曜日、近所の公園でバラ祭りが開催されました。天気も良く、久しぶりにふらっと出かけてみることにしました。そこには職人が手塩にかけたイングリッシュローズが、美しく咲き誇っていました。写真に収めようとスマホをかざす多くの人たちで賑わっていました。十分楽しんだ後、喧騒を離れた道ばたで、柵にツタを絡ませ咲く二輪の昼顔を見かけました。なんだか、とても気丈に思えて、ついシャッターを切りました。そのとき、ふとカリコー・カタリン博士のことを思い出しました。
博士は、2023年に『新型コロナウイルス感染症に対する効果的なmRNAワクチンの開発を可能にしたヌクレオシド塩基修飾に関する発見』でノーベル生理学・医学賞を受賞しました。かつて彼女はハンガリーから夫と幼い娘とともにアメリカに渡り研究を始めます。しかしアメリカではまともな扱いをされず、研究資金や地位は与えられませんでした。夫は渡米当初、清掃員の仕事をして一家の生活を支えたそうです。
彼女の研究は、当時先進的だが副作用が強く実用は不可能と思われていたそうです。周りの心ある研究者の厚意で、資金をカンパしてもらいながら細々と研究を続けたそうです。ハンガリーの女性研究者に向けられた偏見や嫉妬は相当酷かったようです。職場では、「退職」か「降格」を迫られたこともあり、降格してもなお研究を続けたそうです。そんな時、彼女の研究を理解してくれる人が現れます。ともにノーベル賞を受賞したワイスマン教授です。彼の協力で最大の問題であった副作用は解決できました。その後起きたのがパンデミックでした。世界中で多くの方が亡くなる非常事態です。そのとき、彼らの準備は整っていました。研究成果が画期的なワクチン製造へと結びついたのです。顧みられることなく、潰されそうになっても気丈に続けられた研究が世界中の多くの人命を救ったのでした。

利根川進氏の言葉

今朝、かつてノーベル生理学賞を受賞した利根川進氏の訃報が飛び込んできました。利根川氏はこれまでさまざまなメッセージを発信した研究者でした。優れた研究成果ばかりでなく、研究者の心得についても包み隠さず発信し、研究者を志す若者を勇気づけ、研究者とは何かについて教えてくれました。
学生のころ、恩師の指導の元で、すっかり研究に魅了された私は、研究の世界に進みたいと思うようになりました。当時、日本は好景気に沸いており、同級生は皆大企業に就職を決めていました。そんな中、就活もせずにいた私に助手のポストが舞い込んできました。喜んで助手になることにしました。ところが周囲からは「給料は安いし、将来研究者として自立できる保証もないのに、どうしてそんな危ない選択をするのか」と不思議がられたものでした。ただ自分としては好きなことをして生きていけるなら、それで良いではないかとしか思っていませんでした。浅はかと言えばそのとおりかも知れません。そんなに勇ましい人間でもないので、ざまざまな壁にぶつかっては、年中弱音を吐いていたように思います。しかしそのたびに、心ある周囲の人たちが導いてくれました。今思っても、こんなラッキーな人生はないと感謝しています。その御陰で、好きな研究とは真摯に向き合い、神聖な世界を大事に思い続けることができたように思います。恩師の著書に
利根川進氏の談話が紹介されていて、当時、大いに共感したものでした。研究者ばかりでなく、専門職に就こうとする人には共通する大事なことのように思えます。いまの学生にも利根川氏の言葉を紹介することにしています。利根川氏への感謝とともに、心からご冥福をお祈り致します。
安心と安全

昔の電車は、線路の継ぎ目でガタンゴトンとリズムを刻み、揺れながら走行するのが当たり前でした。そのうち、継ぎ目の音は消えて揺れも少なく、実にスムーズに走行するようになりました。新幹線は285km/hで走行しても静かで揺れないため、怖さは感じません。技術の発展は人の暮らしを豊かにし、安心と安全を実現しています。
先日、赤羽から横浜まで湘南新宿ラインを利用しました。乗ってしばらくするとちょっとした違和感を覚えました。他の路線よりも車両が小刻みに蛇行し揺れているのです。大崎と川崎の間では恐怖を覚えるくらい揺れて高速に思えました。後で調べてみると、この区間は直線のため120km/hで走行しているそうです。また全線の一部では貨物列車用の線路を利用しているそうです。そのため、他の路線よりも揺れを感じる箇所が多かったのかも知れません。もちろん、安全走行に問題はないと思いますが、私のような怖がりでも安心して乗車できる路線になってくれることを願っています。
呉市海事歴史科学館

呉市に「造船」が芽吹いたのは奈良時代(8世紀)だそうです。朝廷から遣唐使船建造を命じられたことが発端と言われています。戦国時代には優れた造船技術で瀬戸内海には水軍が誕生し活躍しました。明治になると、植民地化を恐れた日本政府は、富国強兵に舵を切ります。四方を海に囲まれた日本にとって、外国との戦争に海軍はなくてはならないものでした。明治19年には呉港に第二海軍区鎮守府が設置され、軍艦を製造するために日本一の海軍工廠が作られました。瀬戸内海の島々が自然の要塞となり、後ろには山があるため敵が攻め難い場所というのが置かれた理由だそうです。呉湾は第二次世界大戦中には、戦艦「大和」を建造した軍港であり、海軍の重要拠点でした。戦後は世界最大級のタンカーがいくつも建造され、日本の復興を支えたのでした。
呉市海事歴史科学館は「大和ミュージアム」の愛称で知られています。明治以降の「呉の歴史」と造船・製鋼を始めとした「科学技術」を紹介する博物館として2005年に開館しました。開館後11ヶ月で来場者は160万人となったそうです。地方の博物館は通常、年間10万人来場すれば大成功と言われています。大和ミュージアムは開設以来20年間に亘り、常に年間90万人を迎える希代の科学館なのです。
名物は、1/10の戦艦大和の模型です。この模型は、史実を忠実に反映した研究成果物です。いまも新事実が発見されるたびに改造が続けられています。2026年4月23日のリニューアルオープンでは、大胆な改造がなされました。例えば、これまで艦首のサイズは、菊のご紋(直径1.5mと信じられきた)を元に再設計されていました。ところが、沈没した大和の海中写真から菊のご紋は直径1mだったことが判明したのです。船首部は全て作り直したそうです。
戸高館長のこだわりは随所に見られます。例えば、甲板に使われた一枚の板幅は15cmなので模型では15mmになります。そうなると、実際の木材では木目の模様が見えません。そこで木目が1/10に再現できるように、色目が同じ別木材を探して作られました。また、使われていたロープのねじり方向が右か左か判明すれば、これも忠実に模型に反映させたそうです。来場者にはいずれも視認できず、気づいてもらえない細部の再現です。
戸高館長はご著書のなかで「来場した子供達が、”戦艦大和はかっこいい!”と思って興味をもってくれたらそれで良いのです。」と書かれています。その意図は、そこから技術や戦争に興味をもち、やがて平和について考えるようになり、”戦艦大和はかっこいい!”だけではないところに、将来、子供達が到達してくれることを願っているそうです。そのはじめの一歩が、”興味を持つ”ということなのだそうです。さらに、子供達が正しく”到達してくれる”ためには、戦争を知らなければ平和を考えることができないとおっしゃっています。また、正しい知識が与えられなければ、正しく考えることができないともおっしゃっています。そして他の博物館にはないと思うのですが「歴史には誇らしい良い歴史もあれば、不都合でだめな失敗の歴史もある。どちらも正確に示すことが大事」という重要なお考えをお持ちです。この科学館は、技術をとおして戦争を知り、平和を考えるための優れた施設なのです。
この科学館ならば、後世に託せると確信したので、あるものを寄贈することにしました。それは、小生の手元にある恩師から預かったセピア色のノートです。恩師が戦時中に東京帝国大学(造兵学科)で学ばれたときに自作した講義ノートです。昔の帝大生は学んだ講義を丁寧にノートにまとめ、製本して生涯大切に持っていたそうです。そこからは、日本を背負っていく強い使命感をくみ取ることができます。後世に伝えるべき学術遺産だと思います。この講義ノートが後世の研究者の役に立てば、恩師も納得して頂けると思います。また一つ気持ちにけじめをつけることができました。
相棒

君との出会いは、劣等生の僕が22才になったばかりの頃でした。不思議な縁で君と出会い、それから苦楽を共にし、君は僕に素晴らしい世界のあることを教えてくれました。君との出会いで僕は、それまで想像もしていなかった冒険の旅に出ることになったのでした。まさに運命的な出会いでした。生来怠け者の僕の日常に、君は某かの意味を持たせてくれたし、彩りまでも添えてくれました。
一時、僕は君と離れなければなりませんでした。一緒にいることを強く願ったのですが叶いませんでした。でも、いつも君のことは忘れませんでした。いつか、また一緒に何かやろうと思っていたのでした。数年が経って、僕は縁あって海の見える田舎町に移り住みました。そのとき、君が体調を壊していることを知り、すぐに呼び寄せることにしました。大手術を3回しましたが、君は健康を取り戻せませんでした。ところが切実な願いは叶うもので、たまたま仲間が原因を突き止めてくれて、君は驚くほど元気になったのでした。その海の見える田舎町で、再び君とタッグを組んで面白いことができたことは、とても大きな喜びでした。
ある日、一本の電話がかかりました。この電話で僕はこの大好きな田舎町を離れるか否かの選択を迫られたのでした。この満ち足りた田舎生活を捨てれば、茨の道が待っていることはわかっていました。生来怠け者の僕は、大いに怖気付きましたが、一方で劣等生の自分が「冒険の旅は終わってしまったのか?」と余計なことを問いかけてくるのでした。結局、僕の中の劣等生が勝って、大好きだった海の見える田舎町を離れることになったのでした。そのとき、君は僕に黙ってついてきてくれました。
君は昨年までの40年間、僕の相棒でいてくれました。しかし、寄る年波には勝てず、君は余力を残して静かに現役から身をひいたのでした。今朝、多くの人たちが君を迎えに来ました。あっという間のお別れでした。君のこれからが幸多きことを願っています。僕も来年は引退。一つ一つけじめをつける年になりそうです。
青銅鏡は現存する最古の金属研磨品です。これを研究することで、温故知新の諺が教えるように将来技術の開発ヒントが得られるかも知れません。何が飛び出すか、わからない研究ですが数年前から少しずつ実験的なアプローチをしています。御陰でこれまで、いろいろな興味深い経験をさせてもらいました。今後、機会あるごとに少しずつお伝えできればと思っています。
文献を元に、古代鏡と同組成の青銅を川口の鋳物屋さんに頼み込んで精錬してもらいました。荒れた鋳肌を研磨で削り取るのは、かなりの時間を要しました。その後の天然砥石での研磨では、一擦りすると黒いとぎ汁が出て、均等で美しい曇り面を形成していきました。天然砥石に目詰まりはありませんでした。次の工程は研磨炭(木炭)を使った研磨です。岩石からなる砥石で形成した傷を取り去って、緻密で美しい曇り面を形成していきます。この研磨炭ですが、馴染みがなく、作れる製炭師も数名しかいません。そのため、福井県の山奥まで製炭師に炭について詳しいお話を伺いに行ったこともありました。研磨炭の使い方や加工効果については、鏡を製造された経験のある職人さんや、日常、研磨炭を使っている漆器工芸作家にお話を伺いました。突然やってきた異分野の研究者に対して、皆さん、とても親切に接してくださり、懇切丁寧に教えて下さいました。
最後の仕上げは、酸化鉄(赤さび)を菜種油やごま油と混ぜて真綿で行う「拭い」(研磨)です。みるみる間に鏡面になって行くのが面白く、また古代人が見ていた鏡だと思うと感慨深いものがありました。ところが、この「拭い」は、ある段階で鏡が曇ってしまうことがわかりました。合金なので金属組織の硬度さが段差をつくる原因でした。あらためて文献を調査すると「研磨材は秘伝」だそうです。やはり先人も同じ問題に直面したものと思われます。どう克服したのか先人との知恵比べをすることになりました。得られた知見は、多結晶材料の無断差完全平面創成に役立ちます。これは実際に再現実験をしてみないとわからなかったことでした。
一方、根本的な問題として、「どこまで磨いたらよいのか?」ということがわかりません。半導体基板の研磨なら、機能発現から目標値は明確です。青銅鏡だってその役割、意味がわからなければ目標値は定まらないのです。結局、考古学、宗教、風俗から調査し、類推する必要に迫られました。自分の浅はかさを反省した次第です。御陰で神社の神主さん、鏡を磨いた職人さん、考古学研究所の研究員など異分野の方々とカルチャーショックを感じながら交流する貴重な機会となりました。追々、ご紹介できればと思っています。